2015年12月ギリシャのワークから

ゲシュタルト療法の骨格となるアプローチの1つに<経験する>ということがあります。

それは文字通り<経験する>ことをクライアントに勧めるのです。

2015年12月にギリシャでワークショップをしました。それに先立って3時間のオープンセッションを主催者がセッティングしました。

参加した人の半数はゲシュタルトを知らない人たちでした。その中の一人の中年の女性が個人ワークに手を挙げました。

■身体症状のワーク

彼女が希望したのは症状を改善したいということでした。
「最近、事故にあったのですが、それからどうも体調が悪い」ということでした。

私は「あなたの体調について話してください」とたずねたのです。

すると彼女は
「お腹の具合が優れず、肩も痛い」
「医者に行って診察してもらった」が
「特に異常はありません」と診断されたことを教えてくれました。

■身体の声を聞く

私は彼女に「身体の声を聞いてください」と言いました。しかし、彼女はその意味を図りかねているようでした。

そこで私は異なる表現でもう一度彼女に問いかけました。

「もし、右の痛い肩が話すことが出来るとしたら何と言っていますか?」
・・・・・・アプローチ1; 症状の部位に言葉を与える

しかし、彼女は「分かりません」と応えました。このような反応はよくあることです。
特にはじめての人にはカウンセラーやセラピストから問いかけられた意味が理解できないのです。
日常の対話のなかで、このような表現はみられないからです。

普段の私たちは痛みが話しかけてくると思うことはありません。ですから自分の症状や痛みに問いかけるという発想がないのです。

突然、そのように「症状に聞いてみろ」と言われたとしても受け入れがたいことなのです。

私はそれを自然なこととして、次にお腹の症状に話題を移しました。そして、同じように聞きました。

「もし、あなたのお腹が話すことが出来るとしたら何と言っていますか?」

すると今度は、彼女は応える代わりに左手の指先を右の側のお腹に当てました。そして「ここが硬いのです」と教えてくれました。

■意識を向ける

このように、言葉でなく身体の表現(手がお腹に移動)が現れたことは大切なポイントです。

先ほどまで、彼女は身体が話すなどとは考えたことも無いので「分かりません」と応えたのです。

しかし、ゲシュタルトでは「その問いかけに意味がある」と考えています。

問いかけることで自らの意識が症状に向かうからです。そのことを本人がすぐさま意識化しようと無意識であろうとかまいません。

私は「それではそこの硬いところに意識を向けてください」と伝えました。
・・・・・・アプローチ2; 特定の症状の部位に焦点を当てる

そして、私は再び「もしお腹が話すことが出来るとしたら何と言っていますか」と聞きました。もちろん彼女は「分かりません」と応えました。

しかし、私にはここが大切なポイントだと思えたのです。というのも、クライアントはすでに身体表現(左手の指先)でお腹に触れたわけです。
彼女の身体は「ここが私のポイントです」と主張していることになります。

私は「そこに意識を向けていてください」と提案しました。
・・・・・・アプローチ3; 症状を十分に意識する

■事故の記憶

彼女は自分のお腹に手の平を当ててしばらく何かを感じようとしているようです。

長い沈黙が続きました。

「生命の危機を感じたのです」

そうです。彼女は遂にお腹が訴えている声を聞いたのです。
あの事故の時に感じた生命の危機感を感じ取ることが出来たのです。

この一瞬にグループに「そのような大きな事故を体験したのか!」という驚きと、見えない緊張が走りました。

もしあなたがカウンセラーやセラピストを目指しているならばグループのこのような反応や緊張感も同時に気づくことが大切です。

それを感じ取ることが出来る様になればグループの力動を取り入れたゲシュタルトのファシリテーターにもなれるからです。

■感覚を受け入れる

彼女にはその<生命の危機感>を十分に<経験する>ように勧めたのです。
・・・・・・アプローチ4; 症状を<経験する>

あなたが事故で「生命の危機」を感じた瞬間の「感覚」を受け入れることが大切です。

私たちの日常の生活では嫌な感覚や辛い出来事、悲しみなどを早く忘れようとします。

あるいは痛みや怒り、頭痛や慢性的な症状は痛み止めの薬を飲み、精神安定剤を服用してそれらを取り除くことに一生懸命になります。

あたかもそれらが存在してはいけないことのように振舞うのです。

このことによって実は、症状が生まれて来るのです。

症状は「いやいや大事なことが私自身に起きたのだよ」と訴えているからです。

そのような「取り除く」行為は<経験>を十分に咀嚼する時間を無視することになります。
それらの未完な<経験>が身体に症状として存在し続けることになります。

ゲシュタルト療法では、そのように自身が体験したことを無視する代わりに、症状や気持ち、感情を十分に<経験する>ことが大事なことであると考えています。

彼女は私の提案のままにしばらくお腹に手を当てていました。

グループの人たちには彼女が感じた「生命の危機」や「恐怖」をこれ以上に感じ取ったら怖さのために泣き叫びだすのではないかとか、あるいは耐えられないかもという不安が走りました。

しかし、そのようなことは起こりませんでした。それどころか彼女はただ手をお腹に当てたまま、時間が静かに過ぎていったのです。

私は彼女の顔の表情がかすかに血の気を取り戻したことが見てとれたので、このセッションを終えました。

<理論的な解説> 図と地の概念:Figure/Ground Formation

ゲシュタルト療法には「図と地」という概念があります。

図(Figure)とは、意識に上っていることをさします。
地(Ground)は、意識に上っていない領域のことです。

このワークの例では
図(Figure)になっていること: 事故に遭ったということ。それは意識の上にあります。
地(Ground)になっていること: その時の生命の危機感。それは意識の外におかれています。

地になっている「生命の危機感(身体感覚)」が、図に上がりたいと、「お腹が硬い」ような感覚として表現を試みています。

しかし、そのような恐怖は感じたくないので、意識の外へ押し下げようとします。(取り除く行為)

そのために身体感覚はもっと感じて欲しいと症状を作り出すのです。

ゲシュタルトとはドイツ語で全体性あるいは全体性を形成するという意味です。

私たちは図と地を入れ替えながら全体性の意味に気づいていきます。

事故に遭った時は身体は震えていたかもしれません。しかし事故の対応や人との関係に意識が向いていたと思われます。
もちろん思考では大変なことが起きたと理解していたとしても、現実的な事故の対応に時間を割いたのでしょう。

<経験する>とはどういうことでしょうか。

身体感覚で感じ取った事故の時のSensation(神経感覚)、Emotion(感情)、Feeling(言語化し難い感覚)などに注意を向けることです。

そうすると意識に上がっていない地(Ground)になっていたSensation,Emotion,Feelingが浮かび上がってくるのです。
図になったSensation,Emotion,Feelingをしばらく体験し続けると、それは自然と地に戻っていきます。
そして、また次の意識されていない感情や身体感覚が図(Figure)に浮かび上がってきます。

この図と地の入れ替わりは未完了なSensation,Emotion,Feelingを十分に意識化、身体化するプロセスでもあるのです。

このプロセスをゲシュタルト療法は<経験する>という概念でアプローチします。

そのようにすることで未完了なSensation,Emotion,Feelingが図として意識に上がります。

それは彼女に「私はこんなに怖かったのだ」と気づきが生まれる瞬間でもあるのです。