「夢のワーク」のアプローチを、3回シリーズで解説しています。

前回の記事で、第3のアプローチ原則は夢に出てきたものに<なる>ことで、それは身体感覚へも意識を向けることだと述べました。

この第3のアプローチの特色は、夢の中に登場した人物、動物、風景、色彩、エネルギーなど印象に残った場面に焦点を当てます。そして、その中のそれぞれに<なる>というプロセスを踏んで展開させていきます。

■アプローチの実際3:夢の中の登場人物、風景に<なる>

<男たちになる>

最初に私はトイレを創っている男の人たちに<なる>ように提案しました。
<ゲシュタルト療法>ユキミさんの夢のワーク

私はトイレを創っている男です。とても楽しい気分です。

両手を挙げて天井の輝くガラスを持ち上げながらダンスのように身体を動かし始める。
――しばらくダンスの様な身体の動作を繰返す――

<天井のガラスになる>

次にガラスのトイレの天井に<なる>ように言いました。

私はキラキラ輝いています。とても綺麗です。
私は空の上で砕け散ります。
輝くガラス球になって飛び散っています。

そしてユキミさんはバラバラと飛び散ったガラス珠となってうつぶせに倒れこみます。

「私を見ないで!! 」
「私の役目は終わったの~! 」

と叫びます。すこしばかり哀しそうな声です。

<おばあさんになる>

おばあさんは男たちと反対の方角の森を眺めています。

ユキミさんはそのおばあさんの背中に何となく惹かれている感じがしています。
そこで、おばあさんになることを提案します。
<ゲシュタルト療法>ユキミさんの夢のワーク

私は森を眺めています。
森の静けさに心が落ち着くのです。

<森になる>

<ゲシュタルト療法>ユキミさんの夢のワーク

私は森です。あなたを静かに見つめています。
とても興味があるのです。

そしてあなたの後ろの方にいるユキミも見詰めています。
ユキミとおばあさんは同じ線上に並んでいます。

<ユキミになる>

<ゲシュタルト療法>ユキミさんの夢のワーク

私はおばあさんに惹かれています。
おばあさんが眺めている森を見ると心が静かになることに気づいています。

<探していた猿になる>

<ゲシュタルト療法>ユキミさんの夢のワーク

私は猿です。とても楽しい。
ユキミは私を決して見つけることは出来ません。
私は、木から木へ、枝から枝へ、葉から葉陰へ、飛び移りユキミを覗いています。
まるで「隠れんぼ」しているようにわくわくしています。

【ゲシュタルト療法の夢のワーク】
アプローチの原則4:投影に気づく

4つ目のアプローチからは夢を統合するプロセスです。このプロセスは次の5つ目のアプローチと組み合わせていく必要があります。

夢を見た人がその「夢の世界」を創り出しているわけですから、夢の世界に登場した全ての人物、動物、風景、動きや色彩は本人を投影しています。

夢を見た本人がそれに気づくためのアプローチとして、夢の世界で「それぞれの部分」として表現したことを「私」という一人称でもう一度表現してもらうのです。

この原則はゲシュタルトの「投影」という理論が背景になっています。

このアプローチによって「部分」から「全体」へと「私」を統合することが可能になります。

それはバラバラな私から夢によって示されている本当の「私」に近づくプロセスでもあります。

クライアントが「夢の世界」から出てきて「私」という「現実の世界」を生きるように提案することでもあるのです。

【ゲシュタルト療法の夢のワーク】
アプローチの原則5:現実の世界を統合する

5つ目のアプローチの原則は夢を見た人が自分の現実の世界を統合するために全体性を形成するプロセスともいえます。

夢の中に登場したそれぞれの部分に<なる>ことから夢の全体性(ゲシュタルト)へと総合するためのアプローチでもあるのです。

このアプローチはファシリテーターがクライアントに直接的に問いかけることによって可能になります。

ファシリテーターは「夢の中に登場した人物、動物、風景はあなたの一つの側面です。もし夢の中に登場した全てがあなたを表現しているとしたらどんなことに気づいていますか」あるいは「何を表現していると思いますか」と問いかけるのです。

■アプローチの実際4、5:夢のプロセスを本人が振り返る

ユキミさんは、トイレとガラスは私の仕事や役割、目標のような気がします、と述べてくれました。

楽しくトイレを創っている男の人たちは、きっと今の私の仕事を表しているようだと気づきました。それは楽しいことだし、私が目的を持って自立していると感じられるからです。役割を一つひとつキチンとこなしていくことは良いことだと思います。

猿は、日常の私の感覚です。人生を楽しく生きています。それを表しています。

夢の中の私は、おばあさんが見詰めている森の静けさに惹かれていることに気づいています。森は、私が心の奥で求めている「静寂さ」の象徴なのかもしれません。

この夢を振り返ると私は日常の生活に満足しています(猿)。その私はさらに心の奥で旺盛な好奇心から静かなもの(おばあさんと森)へと視点が注がれてきたのだと思えます。

この夢の意味は私の中の<静かな好奇心>ということです。

私の奥にある人生の態度と言えるでしょうか。夢の意味が分かりました

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次の【第3回】は、ゲシュタルト療法のファシリテーターを目指す人のための理論編です。ファシリテーターの関わり方を決定づける2つの立場について解説します。