私の娘が幼稚園の年長の頃、
2人ほど子分というか家来のような
男の子がいた。
その一人の男の子は、
運動系の娘が好きだったようである。
二歳くらい下だったので、
活発に動き回る娘を姐御のように憧れたのかもしれない。
彼はまだ良くしゃべれないので、
興奮すると噛み付く傾向があった。
夕方に仕事から帰って来た私を見つけると
「あっ、エリちゃんのパパだ」
と走り寄って来て、
「カブリッ」とふくらはぎに噛み付いた。
「おいおい、涎くらい拭いてくれよ」と
思ったことがある。
ある時、彼が興奮して「エリちゃんが穴に落ちた」
と言って「カブリッ」と私の足をかんだ。
行ってみるとサッカーボールが
溝に落ちたのを取りに降りたけど
上がれないでいたのだ。
そんな彼も小学校の三、四年になると、
娘と出会っても何事も無い様な顔をして
すれ違って歩いていった。
高校生の頃には知らない者同士の
ような感じだった。
その一方、女の子は口が達者に生まれついている。
カリフォルニアの田舎町に住んでいた時、
アメリカ人と結婚した友人がいた。
彼女にはエモリーというハーフの可愛い3歳の娘がいた。
活発で良くしゃべる女の子であった。
ある時、その家族とプールで遊んでいた。
私が爪切をしていた時だが、
エモリーがやって来て「指先にトゲが刺さったので取ってくれ」と
頼みに来た。
そこで爪切の先でトゲをつまもうとしたが、日本の爪切なるものを始めて見たので
怖くなったのだろう。
急に大きな涙をぽろぽろと流し
「Oho! please, don’t do that」
と言った。何と流暢な英語だと私は感激したのだ。
もちろんエモリーは英語しかしゃべらないのだから当たり前だが、
そのイントネーションというか
感情表現と身体表現の豊かさに驚いたのだ。
この子が大人になって日本で仕事をしたら
コミュニケーション能力の高い仕事に就けるだろうなと
父親のような気持ちになったのを覚えている。
その彼女が高校生になり母親の故郷の日本に夏休みにやって来た。
そのついでに三浦半島の我が家を訪れたのである。
彼女はとてもシャイで物静かにゆっくりと話す女の子になっていた。
一体、彼女に何が起きたのだろうかと聞きたくなるほどである。
男の子も女の子も2、3歳のころの自由なエネルギーに溢れた時代を経て
社会性や文化的な価値を身にまとい、一歩一歩成長していくのだろうが、
他人にとっては10年間あるいは15年間の空白を知るすべは無い。
私がケジュタルト療法をやり続けているのは、
この子たちの空白の時間を
ワークのプロセスで垣間見ることが出来るからなのだろう。